ふでれん!

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小さい教室 その10【完結】

小さな教室 その9の続き。

歴史の話!

思いつきで書き始めたこの連載、無理矢理にでも終わらせないと完結しないかも!と心配になってきました。

ですので、強引かもしれませんが完結に向かってみたいと思います。

書写と書道

書道教室を開きたい!
子供に習字を教えたい!

というときに、何が物事を面倒にしているかといいますと、

書写と書道

と2つあることが、まず混乱します。

書写を教えるのか、書道を教えるのか。

何が正しくて、何が間違っているのか。

まず、書写と書道、この2つを整理してみましょう。

まずは書道

書道というのは、「文字を書く」ということが前提となっています。

じゃあ「文字」ってなんだ?となると、中国の夏だとか殷だとかの時代までさかのぼりまして。
(※詳しいことを知りたい方はしっかりとしたところで各自勉強して下さいね)

この時代に発生した甲骨文とか金文とかが起源になります。
甲骨文字から始まり、篆書や隷書、楷行草、と日本に来てからの仮名。これらが書道で扱う「文字」となります。
これらの「文字」を書く。

殷王朝からスタートすると、ざっと(紀元前1700年+紀元後2000年)3700年の歴史。
これだけの歴史があるので、その歴史もたどりながら古典に沿って文字を学んでいきます。

“中国4千年の歴史”という決まり文句がありますが、だいたい合ってるんですね。
(でも国がころころ変わっていくので「 “中国大陸”4千年の歴史 」といった方がいいかもしれませんね)

古典の字というのは、長い年月でいまだ残っている字ばかりなので、万人が認める“美しい字”なわけです。
(今すぐにその良さが分からないとしても、です。音楽や文学の古典(クラシック)と同じ)

書道というのは、この書道の歴史ごと丸ごと学んでいき、歴史(古典)に基づいた文字で美しさを競う、というような感じです。
(異論・意見もあるでしょうが、ひとまずそういうことに・・・)

そして書写

書写はというと、

昭和初期、国(文部省)が
「日本国民全員、北から南まで、都市も地方も、大きな差の無い平均的な教育をさせましょう」
ということになり。

今までの手書き文字(奈良平安鎌倉とか、江戸時代とか、明治大正とか残っている文献とかを)を学者さんがひととおり見直して(たぶん)。
この漢字はこう、ひらがなはこう、この漢字は難しすぎるから簡単なやつにしよう、とか(たぶん)。

そうやって文字の書き方の標準が決められて。(※各自勉強して下さいね)

それを小学校で学びましょう、と。
(一時は、方言もダメ→標準語ね、尺貫法もダメ→センチメートルね、みたいな時もあったようです)

それが学校で習う書写の文字なわけで。
常用漢字表だとか、当用漢字字体表とか。

書き方の決まりの枠組みを作っていったんですね。
それが年々少しずつ改定されたりしていって今の形になったと。
現在は2015年なので昭和初期から数えて90年とかですか。

書写とは、国がここ100年くらいで決めた、
「ひとまずここら辺を標準としましょうや」
という文字の書き方なわけです。
(※間違ってたらごめんなさい。各自勉強(以下略))

ですので、おのずと字の形なども
「美しい・格好いい」よりも

「間違っていないか・整っているか」
に重きが置かれている・・・(のだと思われます)。

歴史的には短いのだけど

書道の歴史は3700年。

書写の歴史は100年足らず。

3700のうちの100。

占める割合、2.7%。

書写というのは、長い書道の歴史上の、ほんのわずかなんだよ、ということ。なのです。

かといって、書写を軽んじていいのか、というとそうではなくて。

小学校の間はテストがありますし、中学受験もあるでしょう、高校受験もあるでしょう。
(漢字の書き方がどこまで成績を左右するかは分かりませんが)

義務教育で習う文字が、その人の一生の文字の書き方になるのは事実なわけで。

その人の人生に大きく関わる(かもしれない)役割をになっているという。

書道の歴史上、わずか2.7%の文字の書き方が、「現代人の文字の書き方」になる。
そう思うとやはりおろそかにできないんですよね。

第一、書写の歴史はこれから積み上げる歴史なのでその長さはあまり関係ないのかな、とも。

こういうような事情で、ちょっと複雑な感じになっているのかなーと。

書写と書道の狭間で

書写において、「線が1本足りない」とか「線が1本多い」とかだと、もう完全に間違っているので、そういう指導はいいのです。
はらうべきところをはらっていないとか、それはいいと思います。

一応、義務教育の間は「これが正解、こっちはダメ」みたいなことをやるわけです。
しかし、そのあとはさっぱり言われなくなるわけで。

義務教育の間だって、

ひらがなの書き方など、1年生ではいろいろ言われるのに高学年になるとさっぱりで。
漢字の書き方も、書写の授業以外では細かくチェックされないわけで。

それが、さて書写だ、習字で書こう!となると途端に
「ここははねるのでは無くとめるのだ!」
「この線は短いのだ!」
とかになるのです。

先生ごとにもテストの採点の基準が違う、という話も聞きますし。

ひらがなでも、
「う」「え」の最初の点は“はねない”けど、
「や」「ら」の点は“はねる”んだとか。

例えば、「木」を毛筆で書くと2画目の縦線は自然とはねます。

筆でつーっと縦棒を書いて、次は左払いだなー、と自然な流れで書いていくと、
縦棒の収筆、最後は自然と、ピョン、となります。わざわざはねようとしなくても、です。

ひらがなの点とか、縦棒の収筆とか、
その自然とはねてしまったところをつついて、

「ここははねるんじゃなーい!」

とか言われるとですね。
困るんですよね。

“間違ってる”と言われると困るんです。我々書道の人間は。

せめて、
「間違いじゃないけど、学校では止めようね」
とか
「それは大人の書き方だから、子供は止めようね」
ぐらいにして欲しいんですよ。

もう少しゆるーく

はねてもはねなくても、木は木だし。

長くても短くても、天は天なのです。

書写の文字にも、許容範囲が認められていて、

「そこはどっちでもいいよ」

というのがあるのですが。
あまり浸透していないのかなーとも思います。

学校では、書写の文字。
書写は、
間違えずに正しく・整えて、文字を書く。

これは指導要綱にも載っています。

そして、書道は、歴史(古典)に基づいて、
文字を美しく書く

ということになりましょうか。

それはそうとして、細かいところの指導が難しい。

間違いではないのだけれど、どちらかというとこう書いた方がいい、というような。

さじ加減が難しい。

どう教えていく?

まとめると、

基本は書写体、

にプラス、古典にある書道の美しさ

みたいなところを狙っていくのがいいのかな、と。

私自身いまだに勉強中です。
手本を書く度に、書写字典と各種書道字典をとっかえひっかえしてミックスするような感じです。

楷書が完成された唐の時代の字典とか、

日本に伝わってからの文字とか、

ひらがななんかも、卒業した子から教科書のお下がりをもらって、

さらにテキストを買い足し、



(ごく一部)

10冊買えば、10冊とも微妙に違う字の形。

理想を言うと、書写体ベースに、強調やバランスの取り方・重心も加味して、なんかこう、ビシッと・・・。
しないかなーと。

日々やっております。はい、勉強します。

書写体ってのは、全国の小学生が最低限覚えなくてはいけない形になっていると思うので、
文字の形としてはごく普通というか、無難というか。面白くないというか。

あまり美しくない。

特別、線を長く(強調)させるわけでもなく。
毛筆でも、太くしたり細くしたりもあまりやらず。

そこをよりよくしようと。

書写体からあまり外れずに、もう少し格好良くならないかと。

少しずつ

「教えたい!」

と思っている方、

この世界は後継者不足です。
どんどん挑戦して下さい。

できれば、いい先生を見つけて師事して下さい。

そして、身につけるべきは、

第一に書写

ですが、そこで止まらないで下さい。

書写字典と同時に書道字典を買って下さい。
両方を見て下さい。

少しずつ少しずつ、深めていって下さい。
美しいのは書道
書写と書道、どっちがいいとかどっちが間違っているとか、そういうわけじゃないのです。

子どもに、
「こう書いた方がカッコイイだろ!」
「ほら!よくなった!!」
「こんな昔から、漢字スゲエ!」
とアピールしてください。

それが習字のおもしろさです。

世界は広いんです。
色々なこと(事情)が複雑に絡み合っているのです。
(慣れてくるとそんなに複雑じゃ無いですし)

まとまりきれていない感じがしますが、これにて連載終了です。

最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。

不確かな情報が多々ありますので、各自お調べになって下さい。

ありがとうございました。

最初から読みたい方は

こちらからどうぞ。
小さい教室 その1へ。

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