ふでれん!

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学びには渇望が必要。

学びには渇望が必要。

実績&ポートフォリオ

しょうじ書道教室

こんにちは、秋田市のしょうじ書道教室です。

朝散歩、略して朝サン。みたいなことをつぶやくのがもう古い世代だわな。古世代。カンブリア大爆発。それは古生代。

さて理想論なのですが。

教えるということ。

仕事柄人様に教えてばかりいますが、

理想を言えば、

学ぶ順番としては、教わる本人が、

「やる!」

「うまくいかない…」

「も一回やってみる!」

「できない…」

「またやる!」

「えー…できない…」

「やる…」

「できない…」

「やる…」

「できない…」

「これどうしたらいいの?」

「わからんなー」

「どうしたらいいんだ?」

「わからん…」

「どうやるの?」

「こうか?わからん…」

「こうか?違うか」

「これか?こっちか?」

「うー…」

「マジわからんから助けて!」

『こうやってごらん』

ぐらいのタイミングだと、教わるほうもそれはもう真剣に話を聞いて、スポンジが水を吸うがごとくスッと頭に入れることができます。

助けがほしい!教えてほしい!の欲望がMAXになったタイミングで教える。

あくまで理想。

時間が許すのであれば、この、

「本人がめっちゃ悩んで試行錯誤する時間」

を与えたほうがいいんです。親子でも。

教えに渇望する状態まで、あえて教えない。

とはいえ現代は効率化の社会だし、何かと忙しい。

締切日もあるし、

大会もあるし、

試験日も決まってる。

となるとやはり「そんなの待っていられない!」となり、

教わる側の思い悩む時間を待たないまま、

こちらから一方的に「大量に教える」ということがどうしても先行してしまう。

まとめ。


条件的にちょっと難しいのですが、

なんにつけても、

できることなら「待ってあげて」ほしいなーと思います。できるときだけでもね。

これが理想的に進めば、

教える側・・・教わる側

の関係がギスギスしないんですよね。

ということで、

時間が無いけど、興味を引くように、飽きさせないように、身近な例で、分かりやすく教える、

みたいなアイデアを

先生方はじめ「教える業」の人々は日々考えているんですよねー。

これも進歩なのかしら。微妙。

自分の書作部屋に入る。

デデン

デデデン

デデデデーン!ぎゃー!!

なんか違う!!こんなの違ーう!

みたいな遊びを毎朝。なにそれ。

しょうじ書道教室でした!

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