ふでれん!

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筆で書くだけでそれはすばらしいこと。

筆で書くだけでそれはすばらしいこと。

今朝は残ったきりたんぽ鍋にモチを入れて食べました。

モチうまいねー。

あと少量の牛乳にバターを加えて温めてアンコを混ぜて、モチと食べるとおいしいよ。

実績&ポートフォリオ

しょうじ書道教室

おはようございます、秋田市のしょうじ書道教室です。

ハガキの礼儀。


私の年賀状は毎年極力シンプルにしています(手抜きと思われているかも知れない笑)。

書道関係のみなさんには毎年手書きしているのですが、

奇をてらったような(頑張りすぎているような、凝ったような)あまりおかしな書は書かないことにしています。

これは送り先が先輩方や上の先生方が多いためです。

なぜ目上の方へ送る年賀状を凝ったものにしないのか、それは、

「私の書などは見せるほどのものではありません」

という謙虚な姿勢からくるものです(自分で謙虚とか言っちゃってるw)。

逆に、あまり凝った格好つけた書を目上の方に送りつけるとなると、

「おまえ自分がうまいと思ってこんなの書いてるのか」

と思われかねません。

ちなみに年賀状だけでなく、目上の方にお礼を述べる「手紙」なども、同様の理由で筆書きではなく万年筆などで書いた方がいいという考え方もあります。

単純に、

筆書きであれば「礼儀を守って」いて、

ペン書きであれば「無礼」である、

とは一概に言えないのです。

まとめ。


とはいえ・・・。これらが伝統的な考え方ですが、いまやこれも昭和の考え方かなーと今となっては思います。

昭和、平成、ときて今は令和。

現代ではそもそも「手書き」であるだけで十分だと思いますし、

筆書きともなると目にすることも珍しいでしょう。

上の先生方だって、若い人や目下のものから筆書きの年賀状をもらってその筆遣いにケチをつける先生などはいまや皆無でしょうし。

筆で書くことはいまやピアノやギターなど楽器を弾くくらいの特殊技術になっています。

楽器の演奏は聴いている人を幸せにできるすばらしい芸術ですが、

書は見ただけで人を幸せにできる芸術になっているでしょうか?

私もまだまだ精進しなければいけません。

書を愛する人たちが、それぞれの場所でそれぞれの考えで頑張っていけばいいのだと思います。

今日はまじめでした。しょうじ書道教室でした!

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