こんにちは、秋田市のしょうじ書道教室です。
気持ちをじっくり落ち着けて。何かに没頭するとストレスも発散できます。
小学校の先生。
小学校の先生のお仕事は本当に大変で。
我が子も大変お世話になっているのであまり言いたくないのですが。
うちの教室に通う子どもからこんな話を聞きました。
「センセー、わたし学校で口(くち)を書いたときに“口の約束”で書いたらねー」
「小学校の先生がそれはやらないで書きましょうって言ったんだよー」
…。
うーーーーーーーーむ。
ここまできたかーーーーー。
まあ子どもからの伝え聞きですから詳細は不明ですがね。
こういうことは今後もたくさんあるかもしれない。
小学校の先生も忙しくてそこまで手が回らないんだよな、きっと。
ちなみにうちの書道教室にも学校の先生方が何名かいらっしゃっております。ありがとうございます。
ちなみに国語・習字担当の先生ではありませんが…(笑)。
漢字の書き方には細かいルールがある。
本当かウソか分からないけど、なんだかとても危うい話でしたね。
昔はそんなことはなかったんですけどね。
漢字の書き方なんて後回しにされてしまうのでしょう。
英語にダンスにプログラミング。
コロナにプリントに遠隔授業。
タブレットに通信にzoom。
現場の学校の先生に全部押し付けている。
コンビニの店員さんが覚えることが多すぎて問題になっていますが、それと似てますな。
ということで専門的な内容は専門家におまかせを。
漢字のことなら書道教室。
「書写字典」というものがあります。文科省で決められた漢字の書き方が載っております。
“書道”で書く文字とわずかに違いがあります。
文字の歴史から見ると特殊といえば特殊な書写の文字。
それでも現代人にとっては今のこの書き方がバイブルです。
昔の書の文字はただの“趣味”でございます。
それでも書家や大学教授・研究者などエラい学者さん方が集まって書写の書き方を決めているので、
まあ無難なところとなってますね。あまり美しい形ではありませんな。仕方なし。
“教科書体”というフォントを見ると口(くち)という字の書き方が分かります。
書道字典を見てもこの通り。
なので口を書くときには“口の約束”で書くのは間違いではないのです。
うーん…若い先生だったのかなー。
まとめ。
書写体には「許容体」というものもありまして、
“どちらでもいいですよ”という書き方があります。
例えば“木”の縦線、
縦線の最後をピタッと止めるか、はねるか、
これも“どちらでもいいですよ”なので、
縦線を、
止めていても、はねていても、どちらでもいい。
問題はここから。
この“どちらでもいい”を知らない先生が、
その部分を指さして、
「これはダメです」
って言っちゃうのが問題。
どーしてここで「ダメ」って言うかね学校の先生よ。
「こういう書き方もあるよねー」
「でもこっちの書き方で書いてねー」
って言えばいいじゃない。
もしそのことについてよく知らなくて。知らないこともあるでしょうよ。コンビニ状態だもん。
それは後で調べるとして。
その場では柔軟に対応してよね。
「どっちでもいいけど、今はこの書き方にしようね」
って言えばその場は済むんじゃないのー?
「ダメ」は強力だよ。強すぎる。
ダメってことは「間違っている」ってことだ。
漢字の書き方は1000年以上の歴史があるために、ものすごく多種多様なんです。
明らかに線が1本多いとかは「間違い」だけどさ。
止めたのはねたのなんかは歴史上ものすごくいろんな書き方をしているわけよ。
しかも今回の“口の約束”なんか文科省で定められた書き方から外れてないしな。
ほんとお願いします。「ダメ」って言わないでください。
さて。
少し頭を冷やすために気分転換を。
昔の文字、書道の文字は「ただの趣味」と言いましたね。
書道の文字。これは趙孟頫(ちょうもうふ)という人が書いたもの。
キレイでしょ?私好きなんですよねーこの人。時代は元のあたり。わりと最近の人。
あまり特徴らしい特徴は無いんですけど。よーく見るとキレッキレ。
キレのある文字を、難なく整列させて置いている。
とても自然。とても普通。
趣味の世界だからこそ心の栄養になる。
キレイな文字になんの意味があるの?と言う人もいますけどね。
そんならお花を見てなにも感じないのですねと。
これが「ゆたかさ」っていうことで。
しょうじ書道教室でした。