こんにちは、しょうじ書道教室です。
町の中では、黄色い帽子が目に付くようになりましたね。
桜が咲くのももうすぐかな。
失敗しても捨てないで。
さてさて。
普段のお稽古にて。
よく子ども達には、
「失敗しても捨てないで」
ということを言うのですが。
それでも上手く書けなかったときには捨ててしまうようで。
これはとあるお稽古の日に、お稽古が終わって部屋を片付けていたら偶然見つけた、失敗作であろう1枚。
みなさんはどう思われますか?
失敗してる?していない?
うーん。
えー。
そうだなー。
大人でも。先生でも。
一見すると失敗でもないように見えますよね。
そうなんです。
無我夢中で書いていると、子どもに限らず、大人でも「失敗したように見える」ことがあるんです。
私も毎月子ども達のお手本を70枚か80枚か、全て手書きで名前まで書きますが、たまにそういうムードになっってしまうことがあります。
「これは手本として失敗」
と、書き直して。
次の日、その失敗作を見てみると、
どこを失敗したんだっけ?
ということがあるんです。
まあ、この場合は(失敗だと思ったけど成功だった)という逆のパターンですが。
幻の1枚。
試しに。
続きを書いてみました。
ほらね。
どこがどう悪いというわけではないでしょう。
これはもしかして清書になったかもしれない幻の1枚。
あああ~もったいない。
なので、自分自身でよい/悪いを決めてはいけないのです。
清書は先生が決めるのです。
生徒が決めてはいけないのです。
自分自身で客観的に見ることはとても難しいこと。
とてもレベルが高いことなのです。
虫の目、鳥の目。
どこにも所属せず師にもつかず、自分の力のみで創作活動をしていく人もおりますが(書にかぎらず)、あれはかなり高度なことで、相当自分自身で気を付けなければ、独りよがりのあまりよろしくない作品になっていきます。
確かな師につき、確かな目で見てもらうことが上達の近道なのです。
習い事において、独学ではなかなか高いレベルに行けないのもこういうところにあります。
(他にも理由はありますが)
人が気付かないような細かなところまで見られる「虫の目」
全体を俯瞰できる「鳥の目」
この両方を持ちなさい、と芸事では言われます。
物事を見るときに使いたい「3つの目」知っていますか?
(naverまとめさん)
日頃からこの2つを・・・み、3つ?
2つじゃなく、3つだっけ?
まだまだ勉強が足りませんでした。
しょうじ書道教室でした!