相手を思いやる
今、改めて思うこと。
日本の文化には、相手の心を思いやる・おもんぱかる、というものがある。
こちらが行き届かないために相手に不快な思いをさせるのではないかと。
例え目の前におらずとも、いまだ見ぬ相手であろうと、これでは相手に失礼だろう、不快な思いはさせやしないだろうか、と。
そういうところに心を砕くのが日本人の血の中にある。
このような心配りが、日本人の優しさであり、おもてなしの心であり、行儀の良さであり、果ては、神経質なまでに細部までこだわる『日本品質』というところまで筋道が付いているのであると思う。
そして文字
そして、文字。
文字というものは、時間を越えて情報をつたえるのみにあらず。
それは必ず読まれることを前提としている。
書いた瞬間、誰かに宛てたものになる。
文書はもちろん、自分に向けたメモですら。
身だしなみを整えるように
その字を見たときに、相手は不快ではないだろうか、失礼に当たらないだろうか。
だから字を書くときには、相手を思い浮かべ、失礼の無いように書く。
まだ見ぬ誰かは、あなたが書いたその字を、その人となりを見るように見るであろう。
誰かに読まれるということは、自分の目の前に誰かが立って見ていると想像しよう。
それであれば、髪をなでつけ、歯を磨くように。
顔を洗い、服を着て、不機嫌な顔はせず。
身だしなみを整えるように文字を書いていきたい。
過度に装飾する必要はなく。
ほんの少し、その字を読む人のことを考えたい。