こんにちは、秋田市のしょうじ書道教室です。
お世話になっております。
考えていたらますますわからなくなってきた未熟者でございます。
アナログとデジタルと。
今日ふと思ったのは、
紙に墨で文字を書いたものを、
デジタルに取り込み、
再度プリントアウトしたものは、
それは「書」であるのか否か。
作品の写真集や図録のようなもの、印刷物。
またはプリントアウトした1枚を額に入れて飾ったら?
それは「書」であるのかな。
うーん…。
画仙紙に書いたものだけを「書」と呼ぶ…わけでもないだろーに……?なのか??
正直なところ。
まあ、私ら書道の人間は心の奥底では、
紙に墨と筆で、文字を書いたものだけを書と思っているところはありますね。正直言って。
(篆刻も書道ですが)
本当は、
アルファベット書くのだって書道じゃないしパフォーマンスも書道じゃないし書写だって書道じゃないし商業書道もデザイン書道も書道じゃない。
と、みんな心の奥底では思っているのです(共犯にしたw)。
じゃあ書道とはなんですか?と聞かれたら、
「えーそれは中国4000年から続く漢字とそれを元にしたひらがなを文字としてその文字を扱うことで古典に依るところの碑学派と帳学派とありますがその古典に基づいた文字を日々書くことで内省を深め見つめ直し藝に游ぶことで世知辛いこの世の云々かんぬん…」
とか知ったようなことを言い出しますが。
それでも、
書道パフォーマンス、商品ロゴ、題字揮毫、などなどは大事な大事な営業活動なようなものでして。
今も昔も超有名な書家たちが、老舗店の看板を書いたり石碑を書いたりしておりますね。
書家ってメーター振り切っちゃうと仙人みたいな感じになるので、
やはりそこは社会貢献とかもありますし書道というものを絶やさないためにも営業活動は大事なのですハイ。
他の業界は?
マンガやイラストは、
制作方法がアナログだろうとデジタルだろうと、
出力形態がアナログだろうとデジタルだろうと、
変わりないのだから(制作者はこだわりがあるでしょうが)、
やはり書だって、
その制作方法がデジタルだろうとアナログだろうと、
出力形態がデジタルだろうとアナログだろうと、
「書」には変わりない…のか…。
正直ちょっとだけ抵抗がありますねー。
洋画や日本画は画材にもこだわって制作してるか…。
でもレプリカとかリトグラフとか販売してるよね。
プリントアウトしたものを「書」とよぶことに抵抗が…
でもなー理屈ではそれも「書」なんだよなー。
うーーーーん。
書道の定義ってかー。
これからのこと、未来の書道のことを考えたら、
「デジタル要素がひとつも入っていないものだけを」
「書」とする。
ってところがひっかかるかなー。
これでいいのか、
それともダメなのか。
みなさんはどうお考えでしょうか。
個人的には、
鎖国じゃないんだから受け入れないとなーと思います。
まあ“受け入れる”とか言ってる時点で頑固頭なので、これはいけませんな。
まとめ。
「学則不固」
ですよ。
プリントアウトしたって「書」は「書」じゃないか。
これからの時代、書道の中にも
10%とか20%くらいはデジタルベースの居場所がないといけないと思うんだ、おれ。
これからどんどんと、
「基本、デジタル」
になっていくでしょ。
ただその割合がいろいろなだけで。
アナログ:デジタルの割合がね。
だから書道もデジタルゼロってのは無しでお願いしますよ。
しょうじ書道教室でした!