こんにちは、秋田市のしょうじ書道教室です。
お日様は出ているけど、だいぶ寒くなりました。
はじめからうまくいくわけないのにね。
子どもたちがよく言う言葉が、
「これ無理〜」
「あたしこれ嫌い〜」
「苦手だしー」
というもの。
こういうことを言う子はけっこう多いんですよね。
はじめに予防線を張っておくのかな。
失敗したときの言い訳に。
「あらかじめ苦手といっておけば失敗しても恥ずかしくない」
みたいなね。
まあ心理としては分かりますけどね。
言わない子もいるので、私もはじめは、
「よし!じゃあ練習しようよ!」とあまり気にも止めなかったのですが。
そのわりに、誰より練習するわけでもなく。
苦手なら、失敗するのが恥ずかしいなら、
じゃあたくさん練習すればいいよね!
頑張ろうよ!
と思うのは、指導者側の都合のいい考えらしいですよ…あらー。
実際のところは、
恥ずかしい思いはしたくないけど、
かといってたくさん練習もしたくないし、
でもうまくは書きたいし、
みたいな。
人間だもの。
指導者としてはもちろん、
「上手くなりたいから練習する!」
という方向に持っていきたいですよね。
指導者として。
子供たち(大人の生徒さんもですが)
のピントは、
「うまく書く」
ということにピントが合っている状態の場合がたびたびあります。
このマインドのままだとちょっと上達は難しい。
コンクールとか清書前とか特に。
上達するということは。
これをなんとか
「腕を磨く」
ほうにピントを持っていきたいところ。
似ているようで違う、ここのポイント。
「うまく書くぞ」という気持ちは、うまく書けている1枚が欲しい状態。
作品のその1枚が欲しい。
でも上達ってそうじゃない。
「腕を磨く」ということ。
「腕を磨く」というのは、その文字じゃなくてもうまく書けますという技術。
そして、
「上手になりたい」ほうに目的がある。
これは忘れないでほしいなー。
上手になりたいから練習します、と。
自己肯定感が低いとかいう話。
子育て本とか教育心理学とかの本には、
「失敗を恐れるのは自己肯定感が低い」みたいな話が出ますけどね、
だいたいの人がそうじゃないの??
とも思ってしまう。
違うのかな?“教育心理学”の本とか読んだほうがいいのかしら。
大事なのは“長い目”。
毎週のお稽古も、清書も、
コンクールも、展覧会も、
いつの日か上手になるためのステップで。
あまり目先の結果にとらわれないようにしないと。
その1枚が上手くかけたとしても、それは偶然かも。
成功率で考えよう。
10枚書いて、
8割の出来のものが、何枚出るか。
みたいなね。
まとめ。
まあそんなわけで、
闇雲に「書け!書け!」と言うわけにもいかず、
上達するための「考え方」を分かってもらうことにも心を砕いております。
「考え方」って他のことにも通じるしね。
しょうじ書道教室でした!