こんにちは。しょうじ書道教室です。
小学校の卒業式ですね・・・。
卒業していく6年生。
見送る5年生。いよいよ最高学年。
さきどり手本
課題とは別に練習してもらいます。
現在、試行錯誤しているこの「さきどり手本」。
何か学習の手助けになるようなものにしたいと思っています。
「きれいに書けて、なにか学べる」
みたいな感じにできたらなーと思いますが・・・。
書く、侮るべからず
学校で聞いてきたこと、本で読んできたこと、新しい情報を目で見て耳で聞いて・・・。
頭の中でフワフワ浮いている情報を、
字をしっかりと書くという作業で、脳みそにピタッと定着させる・・・のではないかなー。
字をひとつ書くにも、1画1画を確かめながら丁寧に書いていく。
新しい漢字をひとつ習ってくる。
漢字の書き方を覚え、漢字の意味を覚え、映像をイメージして。
読み方が何個かあって。
熟語が何個か紹介される。
この熟語はこういうふうにして使われるんだよ、とか。
この熟語の反対の言葉はこれなんだよ、とか。
似ている言葉はこれ。
この漢字と似ている漢字はこれ。
これら雑多な情報を書いて、読んで、書いて、読んで。
ノートの上、プリントの上。
自分で書いた情報を、自分で書いた文字を、自分でもう一度見る。
見てからまた書く。
自分の中で整理整頓する。
そんなことを何度も繰り返して、覚えていくのではないでしょうか。
習字の役割
ここの線は出る。ここの線は出ない。
ここは長く書く。こっちは短く書く。
細かい違いを確かめる。
この漢字は横線2本。こっちは3本。
似ているけどはっきり違うと示す。
笑・ショウ
妖・ヨウ
奏・ソウ
橋・キョウ
どれも
夭・ヨウ
の字が入っている。
この、「夭・ヨウ」が、漢字の音を担当しているんだよという話も、昨日のお稽古の時間に何人かとおしゃべりしました。
このように、覚えた漢字の様々な情報を整理整頓できるのも習字の大きな役割のひとつなのではないのかな、と強く感じます。
習字の隠れた効能
昔からの習字のイメージ。
字がキレイになる。
マナーを覚える。
集中力が付く。
これらは昔から当たり前のように言われてきましたが、じつはもっと多様な効果があり有意義である(気付かないだけで)・・・。
字がきれいに書けるようになることだけが習字では無いはず。
“書く”ということは学力と密接な関わりがあります。
そして、殴り書きのようにベラベラと書いてもさほど効果は無いのではないでしょうか。
それが、ことのほか小学生時代であれば。
文字を丁寧に書く、ということは子どもにとってはなかなか大変な作業です。
しっかりと字を書いて、それを繰り返す。
時間もかかるし、つらいし、我慢だし。
習字の使命
学習の基本は
読み・書き・計算
です。
この大きな3本柱の一角、“書く”を専門的に担当するのがこれからの「習字」の役割。
そんなつらい思いをして、何も得ないはずはないんです。
習字を指導している側もそれに気付く必要があります。
現在、習字のコンクール・展覧会だけが習字の見せ場のようになってしまっていますが。
そっちはおまけみたいなもので。
寺子屋での、手習い・習字、これが本来の習字の姿ではないでしょうか。