こんにちはしょうじ書道教室です。
今日は本のレビュー。
私はkindleで読みました。
いま、意外と評判になっている。
人気があるのか、ネットや新聞など、わりといろいろなところでお目にかかる本書。
字が汚いことをコンプレックスを持つ著者が、作家をはじめ色々な人と対談したり、自身がペン字教室に通ったりしていく自虐的ルポ。
本の内容は他の方のレビューに譲るとして(無責任)。
HONZ、麻木 久仁子さんのレビュー。
『字が汚い!』あきらめるのか? それとも本気を出すのか?
ここはフィクションさんのレビュー。
「字が汚い!」新保信長
(勝手にリンク。お許しを・・・)
ワタクシ自身、母・汎山は字が綺麗なものの、父はウルトラC級の悪筆で。
この2人の遺伝子を受け継いでいるため、私もかなりの悪筆癖があり。
自分の字が嫌いで書道を始めたような所もあります。
自分の字が嫌いなことが原動力になっているような・・・。
自分の字を受け入れる。
本の中でも触れていましたが、そもそも自分は字が汚いんだ、という自覚があり。
それを自分の中でどのくらい受け入れているのか。
そういうところの話が私は面白かったのです。
自分が字が汚い、と思っている人は多いでしょうが、
その字を嫌いなのか、それとも下手なりに愛せるのか。
私も以前は『嫌い』だったのですが、今では『わりと平気』になってきました。
これは書道の文字では無く、油断している普段の字のこと。
子どもの連絡帳の字とか、見せられん(笑)。いや、いつも急いで書いているし。
書道をやっているので、昔よりも普段の字は整ってきています。
これは今でも変化し続けているところで。
書道を続けていると普段の字は確実に上手になっていきます。
確実に上手になっていきますが、それは書道を続けているからであって、書道を辞めてもその効果が続くのかというところまでは言及できません。
悪筆に書道は確かに効果があります。
それは普段使いの字も、です。
それはそれでいいのですが、書道の効用として、
下手なりの自分の字を好きになる
という部分もあるのだと思います。
今回この本を読んで気付いたことですが、以前は自分が書いた(書作品ではない)字を見せるのはなんとなく気恥ずかしい感じがしたものでしたが、今現在はそうでもない。
人間、上手い下手があって当たり前。
ひとりの人間が書く字でも、その時によって上手い下手があって当たり前。
どの字もそれなりに愛嬌がある。
自分の分身。
「あぃ~おれの字!しかだねなー」
と、許せる。
自分の字を許せた上で、書道をたしなむ。
これがまたなんと楽しいことか。
上手く書ければもちろん楽しいし、下手に書いしまっても楽しい。
これは新たな発見でした。
興味がある方は、本をどうぞ。
しょうじ書道教室でした!